2011年05月27日

名古屋のキックボクシングジム[GET OVER]代表、中島稔倫のブログです。2011年05月27日

中島稔倫の波乱万丈日記 » 2011年05月27日

伝説の先輩、神谷塾神谷塾長永遠に・・・・・。

昨日は夕方までジムを選手にお願いし、岐阜県美濃加茂市まで中学校の先輩の葬儀に行ってきました。
訃報の電話をもらったのが月曜日の朝、仰拳塾の斎藤先生からでした。
この先輩は僕が中学1年の頃の3年生、田舎の中学校ですが当時はこの中学校が荒れていると評判で、そんな3年生グループの中でも当時から一番体が大きくて一番目立ってて、全校生徒から一番恐れられていたのがこの先輩、いわゆる“番長”と言われていた人でした。
当時“つっぱり”と言う言葉が流行語になっていたけど、何も知らずに中学生になった僕が「こういう人達を“つっぱり”って言うんだ。」って思ったのが、この先輩を始めて見た時だった。
あれから27年、当時の事で今でもはっきり覚えているのが、学校でトイレに入ろうとしたら先輩達がたむろしててタバコを吸っている時がよくあった。
恐くて違うトイレに行こうとしたらこの先輩が「トイレか?入っていいぞ。」とやさしく言ってくれた事を覚えている。
1年生の冬、学校では職員室に相撲の人が来てたとか噂になってた。
すでにこの先輩をスカウトに来たとか学校中の噂になってた。
そして3年生の卒業式の1ヶ月くらい前に、この先輩はみんなより早く卒業式を行い佐渡ヶ嶽部屋へ行った。
壮行会の時、体育館で全校生徒の前で力士の着物を着て当時の佐渡ヶ嶽部屋の親方とステージに上がり、何を話したのか覚えてないけど「がんばってきます。期待しててください!」みたいな短い挨拶をしたと思う。
当時僕は先輩を見て「かっこい~」って思った。
中学の番長が本物の勝負のステージに立つ、まさに成り上がりの世界・・・・・・「いつか俺は世間を見返してやる!」みたいなそんな感じだった。
そんな体育館の後ろでは、先輩の挨拶の後、仲間達が「なんであいつを相撲部屋へ行かせるんだ~!」って先生達と大乱闘になってた。
それから10何年、先輩が相撲引退して帰ってきてて空手の試合に出てるって噂をよく聞いた。
極真関係の人からも先輩の名前をよく聞いたし、いろんな大会でて上位に入賞してるって噂も聞いてた。
そんな噂をチラホラ耳にするようになってから大石代表から神谷塾の話を聞いた。
独立し塾長として学校の体育館を借りてたくさんの生徒を教えているとか・・・・。
今BRIDGEで交流している空手道場、大石道場(OISHIGYM)仰拳塾(KOUKENGYM)桜塾、エンドレストップなど先輩の道場の神谷塾とすごく友好関係にある道場だった。
4年ほど前だったかな?白鳥国際会議場で駿介とダニロが戦った時、先輩が応援に来てて大石代表に案内され24年ぶりくらいに先輩に会った。
それからOISHI GYMのオープンパーティーの時にも会って少し話しをした。
話してて感じる器の大きさ、葬儀の時、空手着を着た道場生の子ども達の涙と言葉がすべてを物語っている。
出棺の時の空手関係者の方々が先輩が乗った霊柩車を大きな輪で囲み、先輩の魂に届けとばかりに大きな号令と共に行った10本の正拳突き、42年の人生を真っ直ぐに駆け抜けてた人の最後にふさわしいフィナーレだった。
“肉体は滅びても魂は燃え続ける”と言います。
必ず塾長の“神谷塾魂”は塾生のみんなの心に燃え続け、みんなの心に塾長は生き続けていると思います。

岐阜県可児市立中部中学校伝説の番長、佐渡ヶ嶽部屋出身元琴神谷、日本空手道連盟神谷塾塾長(名誉10段)
神谷正光先輩(享年42歳)永遠に・・・・・・・・・。




2011/05/27(Fri)
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