思い出のロシア
一昨日の土曜日、弟の弘康の奥さんのお母さんが親父の見舞いではるばるロシアから日本に来るとの事で昨日親父の病院へ兄弟3人、3家族が集まった。


お土産でもらいました!ソチオリンピックのキャラクター人形、今はなかなか手に入りません。
さて、数年前のブログには書いたと思いますが、僕は全日本キック時代にロシアの首都モスクワで試合をしました。
1994年5月1日、ちょうど数日前に名古屋空港で中華航空機墜落事故があり、アイルトンセナがレース中にクラッシュして亡くなった事をロシアのホテルのテレビで知りました。
この頃のロシアは共産圏が崩壊してホテル内の国営のお店は閉まっていてスプレーで落書きみたいになっていたのを覚えています。
WAKO-PRO世界フェザー級王座決定戦、全日本バンタム級2位としてCISフェザー級チャンピオン、テンギスアジカリモフと言うロシアでは有名なチャンピオンと戦いました。
2分12Rと言う今では考えられないルール、向こうに行ってから知りました。
結果は判定負けでしたが良い経験をさせてもらいました。
この試合、ロシア全土に生中継されていたと事でした。
そんな事もあって、弟の通訳で20年前のロシア遠征ネタで話も盛り上がりました。
久しぶりに昔の写真を出して、ロシア遠征の写真を見つけました。
初代大和ジム門野会長と当時全日本キック連盟の海外を担当していた藤田さんとの3人でのロシア遠征。
古い写真なので服装もダサいです。
でも、今では貴重な写真。赤の広場にも行きましたよ。

















お土産でもらいました!ソチオリンピックのキャラクター人形、今はなかなか手に入りません。
さて、数年前のブログには書いたと思いますが、僕は全日本キック時代にロシアの首都モスクワで試合をしました。
1994年5月1日、ちょうど数日前に名古屋空港で中華航空機墜落事故があり、アイルトンセナがレース中にクラッシュして亡くなった事をロシアのホテルのテレビで知りました。
この頃のロシアは共産圏が崩壊してホテル内の国営のお店は閉まっていてスプレーで落書きみたいになっていたのを覚えています。
WAKO-PRO世界フェザー級王座決定戦、全日本バンタム級2位としてCISフェザー級チャンピオン、テンギスアジカリモフと言うロシアでは有名なチャンピオンと戦いました。
2分12Rと言う今では考えられないルール、向こうに行ってから知りました。
結果は判定負けでしたが良い経験をさせてもらいました。
この試合、ロシア全土に生中継されていたと事でした。
そんな事もあって、弟の通訳で20年前のロシア遠征ネタで話も盛り上がりました。
久しぶりに昔の写真を出して、ロシア遠征の写真を見つけました。
初代大和ジム門野会長と当時全日本キック連盟の海外を担当していた藤田さんとの3人でのロシア遠征。
古い写真なので服装もダサいです。
でも、今では貴重な写真。赤の広場にも行きましたよ。














