青春の思い出の味
昨日は来週のジュニアの全国大会に備えて癒しの旅。
四日市にあるアクアイグニスへ。うちの嫁お勧めのここの湯は少し熱めの湯ですが天然温泉で下呂温泉と同じくらいの湯質です。
次の日びっくりするくらい肌がつるつるになるのでお試しください。
温泉の前に近くにある四日市スポーツランドのアスレチックで汗を流してから行くと気持ちいいです。
ここのアスレチックもお勧め、これからの季節、絶対着替えを持って行くべきです。
アクアイグニスの帰りに寄った、四日市インター入口の目の前にあるタイ料理屋さん、パヤメンライ。
今までタイ料理屋さんに行ったとき必ずメニューにあるか聞く物があって、それが21年前タイのジムで寝泊まりしながら生活していた時、試合でチェンマイへ行ったときに食べた“カオニィオ”と言うタイのもち米を蒸したご飯。
冷めたカオニィオを山奥の民族の食事みたいに手でちぎって手のひらでグルグル団子にしてから両手で平らしておかずを載せてからクルッと包んで口に入れて食べるんです。めっちゃうまい!
今まで何件かタイ料理屋さんに行ったけど、この“カオニィオ”をやってるタイ料理屋さんはなかったんです。
しかし!このパヤメンライにありました!
21年ぶりの再会!

嫁と子供達にも21年前の話をしながら一緒に食べました、誰も聞いてなかったけど(笑)
高校卒業して就職した三菱自工を3年で退社して全財産50万円を持ってタイに渡った21歳の頃を思い出しました。
当時は1バーツ5円だった。
後先に事を考えず思い立ったら即行動でキックの事しか頭になかったあの頃。
成田空港から旅立つ時は出国ロビーからエスカレーターで下りてく時は泣きながら見送る彼女の視線を背に受けて振り向かずに手を振って下りて行く気分で青春ドラマの主人公の気分だったけど、彼女はいなかったし誰も見送りに来てなかった。(笑)
別に誰も僕の帰りを待ってるわけではないんだけど、気分だけは夢に向かって真っすぐ突き進む青春ドラマの主人公だった。
彼女に別れを告げて旅立ち、でもいつか必ずでかい男になって迎えに行くからな!みたいな・・・・・彼女いなかったけど(笑)
昨日久しぶりにカオニィオ食べたら懐かしい気分になって昔のアルバム開いてみました。
この頃デジカメなんかなかったから空港で“写るんです”だっけ?
インスタントカメラって言ったっけかな?それ持って行って撮った写真を写メしてみました。

ムエタイの名門ジム、ムアンスリージムでの写真。
わかる人にはわかるムエタイの名選手達が並んでます。特に右から3番目の右手を上げてる選手は超有名人ですね。
そして僕の隣で右手を上げてる人は現在やきとりやさんをやっている人です。
渡泰してすぐのこの頃の彼は元気でした。この後、バンコクのソーサワットジムに入門しジムに住み込みの生活に入りました1週間目で彼は高熱で寝たきりになってしまい、2週間でやばい状態になり3週間目で帰国しました。
日本に帰ったら即入院だったみたいです。
僕はその後一人で2ヶ月タイのジムに寝泊まりして練習と試合をしてきました。
僕は不死身でした(笑)





本当はもう1つだけこの頃ジムのトレーナー、上から2枚目の僕と二人で写ってる赤いトランクスの人でピーナイと呼ばれてる人なんですが、ピーナイに連れてかれて食べさせられた物があって、これがなんなのかわからなかったんです。
日本で言う海の近くにある市場みたいな所で食べた、お吸い物みたいなにに入った柔らかい肉みたいなものなんです。
でも、この話をタイ在住のカメラマンS田氏に話たら・・・・・・聞いたけど忘れちゃいました(笑)
ただ、なんか精力が付くとか言われてる食べ物みたいです。
これは名前がなんなのかわかりません。
今度パヤメンライで聞いてみよう。
四日市にあるアクアイグニスへ。うちの嫁お勧めのここの湯は少し熱めの湯ですが天然温泉で下呂温泉と同じくらいの湯質です。
次の日びっくりするくらい肌がつるつるになるのでお試しください。
温泉の前に近くにある四日市スポーツランドのアスレチックで汗を流してから行くと気持ちいいです。
ここのアスレチックもお勧め、これからの季節、絶対着替えを持って行くべきです。
アクアイグニスの帰りに寄った、四日市インター入口の目の前にあるタイ料理屋さん、パヤメンライ。
今までタイ料理屋さんに行ったとき必ずメニューにあるか聞く物があって、それが21年前タイのジムで寝泊まりしながら生活していた時、試合でチェンマイへ行ったときに食べた“カオニィオ”と言うタイのもち米を蒸したご飯。
冷めたカオニィオを山奥の民族の食事みたいに手でちぎって手のひらでグルグル団子にしてから両手で平らしておかずを載せてからクルッと包んで口に入れて食べるんです。めっちゃうまい!
今まで何件かタイ料理屋さんに行ったけど、この“カオニィオ”をやってるタイ料理屋さんはなかったんです。
しかし!このパヤメンライにありました!
21年ぶりの再会!

嫁と子供達にも21年前の話をしながら一緒に食べました、誰も聞いてなかったけど(笑)
高校卒業して就職した三菱自工を3年で退社して全財産50万円を持ってタイに渡った21歳の頃を思い出しました。
当時は1バーツ5円だった。
後先に事を考えず思い立ったら即行動でキックの事しか頭になかったあの頃。
成田空港から旅立つ時は出国ロビーからエスカレーターで下りてく時は泣きながら見送る彼女の視線を背に受けて振り向かずに手を振って下りて行く気分で青春ドラマの主人公の気分だったけど、彼女はいなかったし誰も見送りに来てなかった。(笑)
別に誰も僕の帰りを待ってるわけではないんだけど、気分だけは夢に向かって真っすぐ突き進む青春ドラマの主人公だった。
彼女に別れを告げて旅立ち、でもいつか必ずでかい男になって迎えに行くからな!みたいな・・・・・彼女いなかったけど(笑)
昨日久しぶりにカオニィオ食べたら懐かしい気分になって昔のアルバム開いてみました。
この頃デジカメなんかなかったから空港で“写るんです”だっけ?
インスタントカメラって言ったっけかな?それ持って行って撮った写真を写メしてみました。

ムエタイの名門ジム、ムアンスリージムでの写真。
わかる人にはわかるムエタイの名選手達が並んでます。特に右から3番目の右手を上げてる選手は超有名人ですね。
そして僕の隣で右手を上げてる人は現在やきとりやさんをやっている人です。
渡泰してすぐのこの頃の彼は元気でした。この後、バンコクのソーサワットジムに入門しジムに住み込みの生活に入りました1週間目で彼は高熱で寝たきりになってしまい、2週間でやばい状態になり3週間目で帰国しました。
日本に帰ったら即入院だったみたいです。
僕はその後一人で2ヶ月タイのジムに寝泊まりして練習と試合をしてきました。
僕は不死身でした(笑)





本当はもう1つだけこの頃ジムのトレーナー、上から2枚目の僕と二人で写ってる赤いトランクスの人でピーナイと呼ばれてる人なんですが、ピーナイに連れてかれて食べさせられた物があって、これがなんなのかわからなかったんです。
日本で言う海の近くにある市場みたいな所で食べた、お吸い物みたいなにに入った柔らかい肉みたいなものなんです。
でも、この話をタイ在住のカメラマンS田氏に話たら・・・・・・聞いたけど忘れちゃいました(笑)
ただ、なんか精力が付くとか言われてる食べ物みたいです。
これは名前がなんなのかわかりません。
今度パヤメンライで聞いてみよう。
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