平成最後の日、振り返ればやっぱり原点はここ。

名古屋のキックボクシングジム[GET OVER]代表、中島稔倫のブログです。平成最後の日、振り返ればやっぱり原点はここ。

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平成最後の日、振り返ればやっぱり原点はここ。

平成最後の日。
振り返ればやっぱり平成元年。
昭和63年度卒業生として平成元年3月に岐阜県立可児工業高校を卒業し、平成元年4月に三菱自工株式会社に就職した。
技能訓練生としての半年間を経て、三菱自工大江工場ボディー科に配属となり、ライン作業2交代制。
1週間交代で昼勤夜勤で溶接作業で毎日毎日汗だくで時間に縛られ同じ事の繰り返しの毎日。
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こんな仕事をやりながら昼勤の時は仕事の後、夜勤の時は仕事行く前に練習に行ってました。
プロ5戦三菱自工で3年務め、退職金50万もらい全財産を持ってタイへ。

約3ヶ月、バンコクのソーサワットジムで住み込みで練習をしチェンマイで試合をして帰国。
当時の会長に紹介してもらい就職したのが呉服問屋、扇屋株式会社。
約13年お世話になりました。
この写真は東京ベイNKホールで全日本バンタムのベルトを取った翌日。
会社のみんなが応援に来てくれて試合後応援バスで名古屋に帰り出勤。
でも、社長はじめ上司、先輩方みんなが祝福してくれました。
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今の僕があるのは現役中はしっかり社会人として働いて、会社でもちゃんと実績を作っていたと言う事。
特に三菱での3年間の仕事は、今の時代なら日本人なら嫌がって出稼ぎに来た外国人しかやらない仕事。
そんな仕事をやりながら練習していた毎日があったから、タイで練習だけの生活はどうってことなかった。
今の時代はたいした選手でもないのにスポンサーからお金もらって練習だけしている選手がたくさんいるけど、仕事辞めなきゃ練習時間も作れない選手は大人としてはダメ人間ですね。
ちなみに僕も昔、お世話になっていた方からいろいろなお誘いがありましたがすべて断り扇屋で働き続けました。
そのお誘いに乗ったら“キックボクサー中島稔倫”ではなくなると思ったから。
“自分らしく生きて行く”と言う事。
いつの時代も自分らしく、中島稔倫らしく生きてい事。
令和もそんな自分生き様を貫いて駆け抜けて行こうと思います。



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2019/04/30(Tue)
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