GET OVER14年間で僕の心の中に一番残っている試合、第1位はこの試合です

名古屋のキックボクシングジム[GET OVER]代表、中島稔倫のブログです。GET OVER14年間で僕の心の中に一番残っている試合、第1位はこの試合です

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GET OVER14年間で僕の心の中に一番残っている試合、第1位はこの試合です

この試合の前日の夜、僕はジムで一人で年賀状の印刷をしてました。
インクの状態を見ながら一気に約250枚くらいの印刷。
印刷をやりながら明日の試合の準備と持ち物の確認。
夜23時頃電話が鳴りました。
お袋から
「お父さんがもう最後だから早く来て!!」
そんな電話だった。
この日の朝、医者から親父が苦しがってモルヒネを投与するからという電話があった。
2週間前には医者から家族みんな病院に呼ばれ、もう長くないから覚悟はしといてくれと言う宣告は受けていた。
年が越せるか越せないか微妙なところだったから僕も覚悟はしていた。
印刷していた年賀状をポストに投函して病院へ。
親父は朝8時頃に天国へ旅立った。
さて、そこから.
悲しんでいる暇もなく初の喪主としての任務、病院で檀家の静岡のお寺へ連絡。
葬儀場の手配、火葬場、お坊さんの手配など済ませ、お袋は放心状態であてにならないから弟たちにやることをすべて伝え、僕は大翔、大河を連れて白鳥国際会議場へ。
そんな状態での試合。
親父が天国へ旅立った日の試合。

2014年12月27日(日)
HOOST CUP FOREVER 
白鳥国際会議場イベントホール 
◎ケミカル☆瞬太 3RTKO  HIROKI(Dropout)×

瞬太のウォーミングアップ中も電話がジャンジャンかかってきて集中できない状態。
しかし、そんな僕の状態を察してみんながサポートしてくれました。
瞬太には一言だけ
「親父はこの試合来たかったけど来れなくなった。頼むぞ。」
とだけ伝えました。
当時、WPMF日本スーパーフェザー級6位にランキング入りしていたHIROKI.でしたが・・・。
1Rから瞬太の前蹴り、膝蹴り、入って行けば肘打ちを合わされ、すべての距離を瞬太に支配され防戦一方のHIROKI。
2R後半瞬太の右の肘打ちがヒットしHIROKIダウン。
3R瞬太の肘打ちで左目じりをカット。
ドクターストップで瞬太の3RTKO勝利となりました。
瞬太にはKOで勝ったらHIROKIのセコンドに付いてるヤスユキにマイクで挑戦状叩きつけろと言っておきましたが、マイクもらおうと思って相手側を見たらヤスユキがいない(笑)
2日後の12月29日、BLADE参戦の為来てませんでした(笑)
試合後、立嶋篤史 VS 佐藤孝也の試合の花束贈呈を頼まれていて、18時から六番町愛昇殿にて親父の仮通夜。
リング上で花束贈呈したのが17時50分。
国際会議場の入り口にタクシー待たせて、ジュニアのお母さんに長男と次男を入り口まで連れてきてもらい僕はリングを下りてダッシュ。
タクシーに乗って愛昇殿へ。
18時ジャスト、喪主ギリギリ到着。

この試合、いろいろな事が重なり忘れられない試合になりました。
選手の瞬太、セコンド、そして応援に来てくれていた人たちみんなが僕をサポートしてくれて一つになった試合。
そして、最高の勝利をおさめてくれた瞬太。
親父が旅立ち、僕、そしてGET OVERが新たなスタートを切った日となりました。






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